今回のケースは、裁判における検察と被疑者・弁護人の役割分担を源泉とする、宿命的な問題といえるのかもしれません。
例えば、刑事裁判の弁護人は、世間から次のような非難を受けることがあります。
「弁護士は凶悪な犯罪者の味方をして恥ずかしくないのか。」
「そんな子どもじみた言い訳が通るわけがないだろう。」
「被害者の気持ちを考えろ。」
なぜ弁護士は被疑者(被告人)の肩を持つのか。
理由は非常に単純で、刑事裁判という劇場の中で、「被疑者(被告人)の味方」という役割を与えられているのが弁護人だからです。
もちろん、弁護人は公益や弁護士倫理も考慮しなくてはなりませんので、無条件に被疑者(被告人)の利益だけ考えていれば良い、というものではありませんが。
しかし、「被疑者(被告人)の味方」という役柄だけに呑まれてしまうと、非常識な行動を取ることになってしまいます。
これと同じことが捜査機関側にも言えるでしょう。
検察・警察に与えられている役割は、「被疑者(被告人)の弾劾者」です。
当然、彼らにも、「無実の者に刑罰を与えることがないように」との制約が課されていますが、弾劾者の役に呑まれて思考停止してしまうと…
捜査の過程で不自然な点が認められても、一度クロの心証を抱いた相手は、証拠隠しや調書捏造をしてでも有罪に持っていってやる!、と暴走してしまう可能性があるということです。
役割分担という、裁判制度の基幹部分から来る問題ですから、一朝一夕に問題を解決できる妙案というものは存在しません。
結局のところ、弁護士、検察官、裁判官の職業倫理と良心に期待する他ないということになりましょうか。
自戒も含めつつ、この問題の推移を見守りたいと思います。