弁護士コラム

遠隔操作ウィルス冤罪事件について思う(前編)

2012.10.24

冤罪事件として連日のように取り上げられている「遠隔操作ウィルス事件」について。
この一連の事件は、4件の誤認逮捕事件から成っていますが、捜査官が「犯行を認めれば罪が軽くなる」旨述べて自白を引き出 そうとしたケースが存在し、捜査機関の誘導で自白調書が作成された可能性があることが指摘されています。
この問題について、「刑事裁判における各当事者の役割」という観点から検討してみたいと思います。

「犯行を認めると刑罰が軽くなる。」
程度はともかく、これは現実の刑事裁判においてあることです。『罪を犯したことを前提として』、犯行を認めようとせずに刑罰を逃れようとする者より、犯行を認めて刑罰を受け入れる反省の姿勢を見せている者の方が犯情は軽いからで、そのこと自体は間違っているとは言えません。

問題なのは、無実の場合であってもこれが意味を持ってしまうことがある、ということです。
よく知られた例として、痴漢冤罪事件があります。最近の裁判では、痴漢事件で有罪と認定するにはそれなりの証拠が必要、というように厳格な事実認定を要求するのが主流となってきているようですが、少し前までは必ずしもそうではありませんでした。
第三者の証言が得づらいことや、物証が残りにくいことから、被害者の供述が過度に重視され、被害者の供述1つで有罪認定されて家族も職も失ってしまうということがあり得ない話ではなかったのです。

そのため、「真実は明らかになる。」ということが必ずしも期待できず、「不実の罪を認めて反省している(ような)態度を示し、不起訴を目指した方がダメージを抑えられる。」という発想が無視できないほどの意味を持つに至っていました。
弁護士の登場する某テレビ番組で、「痴漢に間違われたときにどう対応すべきか」という問いかけに対する弁護士の回答がバラバラであったことは、そのことを示していると言えるでしょう。

このように、「やっていないことをやったと認める」ことに一定のメリットがあると、それは被疑者・弁護人側の選択肢の1つとして機能してしまいます。

また、被疑者は弁護人に対しても嘘をつくことがあります。

「この被疑者は正直に本当のことを話しているのか。
本当にやっていないとしても、この状況で無罪判決を勝ち取ることができるのか。
被疑者に失職や家族崩壊のリスクを負わせて、無責任に徹底抗戦を勧めてよいのか。」

否認事件では、様々な思惑や弁護士倫理等の制約が交錯して、弁護人としては非常に判断に迷うこととなります。

(中篇に続く)