弁護士コラム

弁護士と医師の共通点

2016.05.16

「弁護士と医師は並び称されることが多いが、それは何故だと思う?」

これは、私が修習生時代、就職活動で法律事務所を回っていたときに、病院側の医療過誤事件を取り扱う弁護士から投げかけられた問いです。
なかなか明確に答えられず、お釈迦様が出家を志した原因は?等のヒントをいただきつつ、四苦八苦しながらようやく答えの一端に辿りついた記憶があります。

字数に限りがあるので早々に答えを述べてしまいますが、その弁護士がその問いの答えとして用意していたのは、正に「四苦八苦」でした。

「四苦」とは
「生」
「老」
「病」
「死」
を指します(元々王族であった釈迦が生の儚さに悩み、四方の城門から外に出た際に老人、病人、死者を見て苦悩を深め、出家を決意したという逸話です。)。

「八苦」とは
「愛別離苦(愛する者と別れ離れてしまうこと)」
「怨憎会苦(恨み憎んでいる相手と出会うこと)」
「求不得苦(求めているものが手に入らないこと)」
「五蘊盛苦(心身が思うようにならないこと)」
を指します。
「八苦」は八つあるわけではなく、この四つで「八苦」です。
ちなみに、ここで言う「苦」とは「思うようにならないこと」を意味し、「苦痛」より「苦悩」の意味合いが強いと言えます。

こうして挙げれば勘のいい方はもうお気づきでしょうが、医師は四苦、弁護士は八苦、いずれも「苦」を取り扱う立場にあるから並び称されるのだ、というのが冒頭の問いの答えだったようです。
言われてみれば、なるほどと思うところがあります。
日々の生活の中の思うようにならないことを専門家として技術や知識をもって助け、導き、少しでもその悩みを解決しようとするところに弁護士と医師の共通点があるということなのでしょう。

ところで、釈迦は四苦に触れて出家の道を歩むことにしたとされているわけですが、この逸話はなかなか興味深いものがあります。
釈迦は、「苦」に対処するために、高名な医師を抱える、不老不死研究に走る、自ら医学を志すといった「医」の道でもなく、善政を敷き社会制度を整えるという「法」「政」の道でもなく、哲学(宗教)の道を選んだわけです。
四苦八苦の対処法は医術や法律といった技術的なものではなく、自己の意識を変革させることである、と言われているようで、色々と考えさせられます。

(『蒼生 2016年4月号』掲載記事)