今回は「遺言」(法律家は「遺言」を「いごん」と言います。法律用語でそう呼ぶからであって、漢字に弱いからではありません。)について。
相続は実によく揉める問題の1つです。きちんと様式を守った遺言があるかないかで、その後の手続は全く違ったものになります。
適式な遺言があれば、基本的にはそれに従って粛々と手続を進めればよいことになります。
遺言がない、あるいは遺言はあるが様式が守られていない場合、相続人全員で遺産の分け方を決めなくてはなりません。
1人でも賛同しない人がいれば、裁判所の手を借りる他なくなります。
行方の知れない相続人がいたり、途中で相続人が亡くなったりすると、そのたびに煩雑な手続が必要となり、数年経っても話がまとまらないことも珍しくありません。
では、適式な遺言書とはどういうものか。
一番安上がりで簡単なのが「自筆証書遺言」と呼ばれるものですが、大雑把に言うと、
①遺言者が全て自筆で作成すること(代筆、ワープロ不可)
②「○年○月○日」と作成日付を正確に記載すること(「吉日」等不可)
③遺言者の署名・押印があること
です。
ただ、適式な遺言があったとしても、例えば「長男に全ての遺産を相続させる。」等、その他の相続人の最低限の相続権利(遺留分)を侵害する遺言をしていると、やはり揉める可能性があります。
以前耳にして「なるほど。」と思ったのですが、たとえ遺産を1円も渡したくない相続人がいたとしても、多少は遺産を相続させる旨遺言書に記載しておくと、
「仲は良くなかったけれど、親父は親父なりに俺のことを考えてくれていたんだ。」
というように納得してくれることが結構あるのだそうです。
自分に尽くしてくれた相続人に良かれと思ってした遺言が、かえってその人をトラブルに巻き込むこともあるので、よくよく知恵を凝らして遺言書を作っておくことは大事だなと感じた次第です。
遺言など縁起が悪いという考えも根強くあるようですが、遺される人たちが遺産で揉めて四分五裂することがないように、家族に対する感謝と愛情を示す最後のメッセージとして、どういう遺言をするか考えておくのも悪くないのではないでしょうか。
(『蒼生 10月号』掲載記事)